2013年3月16日土曜日

第三回 : 渋井式、海外での友人のつくり方 (3)

私は3人の言葉を聞いて驚きました。3人ともグループワークのときは、取り付くしまもなく素っ気なかったのです。
「あのときは、Mahoが出来ないことを知らなかったのよ」とM。

「事情を知ったからには協力するから、もうしばらく頑張ってみなよ」とJも言います。
「よし決定!」と声をあげたのはEでした。「私たちがサポートするって約束するから、Mahoも必ず授業に出席するって約束してね」

「初めて会った私を、どうして助けようとしてくれるの?」
「だって、それは…」3人がほぼ同時に答えました。「相手が困っていると知ったら、手助けするのが当たり前でしょ」

 

彼女たちの言葉がヨーロッパの、そして米国大陸に住む人々の文化なんだということが、その後の経験を通して私にも理解できました。
とくにヨーロッパ系の人々にはそれが顕著だと思います。一見すると冷たい印象があるけれど、相手が困っていると知れば、精一杯手助けしようとしてくれる。といっても、彼らはこちらが困っていることを察してはくれません。

しっかり言葉で伝えないかぎり、気づいてくれません。数ヵ月後、ヨーロッパを列車でひとり旅したときにも、それをしみじみ実感しました。
言葉にさえして自分の欲していることを頼めば(その理由も説明できればなお良し)、相手のできることなら大抵やってくれます。できないときも、その理由をきちんと説明してくれるので、こちらも対応しやすいです。

 

E、M、Jとは多くのことを語り合いました。「Mahoの英語の勉強になるから」と、彼女たちが色々な場所に引っ張ってくれたおかげで、沢山の経験をし、ヨーロッパ、中南米を中心に多くの国の人々と接することができました。

そうした交流を通して、彼らが「討論」を好むことを知ったのもいい勉強になりました。とくに社会や政治、経済システムの国ごとの違いに関するテーマは、誰しも好んだのが印象的でした。彼らに言わせると、日本人はあまりその類の話をしてくれないそうです。

そのためか、私がビジネス経験も踏まえて話をすると、たどたどしい英語でも熱心に耳を傾けてくれました。もちろん、彼らも私に分かるレベルの英語で、熱心に自分たちの国のシステムについて説明してくれました。

私の英語力が少しは上達したのは、彼らとのこうした討論のおかげです。