2012年8月17日金曜日

第一回 : プロローグ(2)

会社を立ち上げて12年、40歳を迎えた自分が半年も休業して留学すると決めたとき、周囲の何人かは驚いたり、やんわり止めたりしましたが、意外にもクライアント先の企業はどこも理解してくれました。

実は今回の留学は2年前から計画して、着々と準備してきたものです。きっかけはTBS系の「朝ズバ」という番組に、コメンテーターとして出演したことです。 3か月ほどいい経験をさせてもらいましたが、自分の知識、経験、思考の未熟さを嫌というほど思い知らされたのも事実です。
ちっともコメントができずに落ち込んでいた私のそばに、CM中、みのもんたさんがやってきてポツリとつぶやきました。もっと見聞を広めたほうがいいだろうな、と。
すかさずコメンテーターのおひとりが「渋井さん、大人になって留学してみるのもいい経験だよ。 社会人経験をそれなりに積んで、自信も少しはついたが限界も思い知らされて、さまざまなことに理不尽さを感じてもいる。そうした年頃だからこそ、日本と違う環境に飛び込んでみれば大きな化学反応を自分のなかに起こせるよ」とおっしゃいます。

「自分の見聞を広げる必要性は痛いほど感じていますし、留学は魅力的ですが、私の年齢では仕事も、家庭も、それに資金でも制約がさまざまにあります」
「すべて自分の気持ち次第ですよ。仕事でもそうだが、人生はなおさら頭ばかり使ってはいけない。頭ばかり使うと、できない理由ばかり探してしまう。
だけど気持ちはそんなことをしない。技術でもビジネスの手法でも、革新的なイノベーションは『どうしてもやりたい』という気持ちから生まれる。人生も同じです。 気持ちが『やってみたい』というのなら、それに従うべきです。もちろん実現するまでに壁はある。そのときこそ頭を使って解決策を必死で考えればいいんです。 それにあなたの年頃だとまだ時間が十分ある。今すぐとがむしゃらにならずに、2年先、3年先の実現を見据えて準備すればいい」

資産運用と同じですよ、とその人は笑って肩をすくめました。

私は自分の気持ちに問いかけてみました。時間がかかりましたが、心がもとめる人生をクリエイトしてあげようと決意しました。 どこかで日々に飽きていて新しい挑戦を望んでいたのに、変化への不安や惰性が、一歩を踏み出す勇気を妨げていたのです。
その頃の私は個人向けの事業と法人向けの研修事業を手掛けていたのですが、まずは法人向けに一本化しました。 思い切りのいる決断でしたが、おかげで時間をねん出することができました。ずっと突っ走ってきて、新たなインプットをする必要があったのです。とくに大学受験以来、まるきり避けてきた英語と格闘しなければなりませんでした。就職内定時の抜き打ちTOEICのスコアが380点という私にとって、これは頭の痛い問題です。

それから2年、40歳になった私はついに計画を実行に移しました。3年先を考えていたのですが、3.11の地震が私の気持ちを後押ししました。 地震の起きた夜、ようやくついたTVの画面の向こうには、母の故郷であり、私が生まれた場所でもある気仙沼市が炎に包まれている光景が映し出されていました。 とめどなく涙があふれました。
それと同時に、しっかり生きないといけない、背筋をきちんと伸ばして、授かった人生を後悔のないよう送っていこうと心に誓いました。逝ってしまった人たちのためにも。
こうして私の大人の留学がはじまりました。スキルはもちろん、見聞を広げるという意味では、遊学のほうが言葉としてふさわしいかも知れません。 これから週2回のペースで留学エッセイを連載していきますが、グローバル人材という言葉が巷を飛び交っているこの頃、自分の中のなにかを変えたいと思っている〝あなた″の頭と心をやんわり刺激するような、異文化コミュニケーションあり、キャリアあり、マネーありといった盛りだくさんの内容をお送りしていきます。 ぜひお楽しみください。